Featured image of post なぜワインは瓶で熟成するのか? - ガラス瓶が起こした、ワインの『時間革命』

なぜワインは瓶で熟成するのか? - ガラス瓶が起こした、ワインの『時間革命』

今では当たり前の「瓶熟成」。しかし昔のワインは樽から飲む短命な飲み物でした。ガラス瓶とコルク栓が、いかにしてワインを「時間」から解放し、不老不死の飲み物に変えたのかを解き明かします。

こんにちは、Antoineです。

あなたの家のセラーにも、埃をかぶった古いワインが静かに眠っているかもしれませんね。 なぜ私たちは、ワインを瓶に詰めて、何十年も熟成させることに価値を見出すのでしょうか?

実は、昔のフランス人は、そんなことはしませんでした。 古代ローマの時代から17世紀に至るまで、ワインとは樽から直接グラスに注いで飲む、若くて新鮮な、そして**「短命な」飲み物**だったのです。

今日は、ワインを「時間」という宿命から解放し、ほとんど「不老不死」の飲み物へと変えた、静かなる技術革命の物語をお話ししましょう。

かつて、ワインは「酢」になる運命だった

ガラス瓶が普及する以前、ワインは粘土の壺(アンフォラ)や木樽で輸送・保存されていました。 これらには、一つの大きな弱点があります。それは、気密性です。

どれだけうまく栓をしても、わずかな空気が入り込み、ワインはゆっくりと酸化していきます。 酸化が進むと、ワインの中のアルコールは酢酸菌の働きによって、お酢、つまり**ヴィネーグル(vinaigre)**へと変わってしまいます。「酸っぱいワイン(vin aigre)」がその語源ですね。

そのため、昔のワインは造られてから1年以内に飲み切るのが普通でした。 長期熟成など、夢のまた夢。ワインとは、常に「時間との戦い」であり、いずれは劣化する運命にあったのです。

17世紀、イギリスで生まれた二つの発明

そのワインの運命を劇的に変えたのが、17世紀のイギリスで起こった二つの技術革新でした。

1. 丈夫なガラス瓶の誕生 当時のイギリスは、産業革命の少し前。石炭を燃料に使う高温の窯が実用化され、これまでの薪の窯よりもはるかに頑丈で、色の濃いガラス瓶を大量生産できるようになりました。 この濃い色が、ワインを劣化させる紫外線から守る役割も果たしたのです。

2. コルク栓の普及 時を同じくして、スペインやポルトガルから、コルクガシの樹皮を使ったコルク栓が伝わりました。 コルクの持つ驚くべき弾力性と、水を通さない性質は、瓶の口をぴったりと塞ぎ、驚異的な気密性を実現しました。

この二つの発明、「丈夫なガラス瓶」と「気密性の高いコルク栓」の出会いが、ワインに革命を起こすのです。

ワインに起きた「時間革命」と「化学の魔法」

人々は、ワインを新しい瓶に詰めてコルクで栓をすると、劣化しないどころか、味わいが驚くほど豊かに、複雑に変化していくことを発見しました。 ワインが「時間」に打ち勝った瞬間であり、**「瓶内熟成」**という概念が生まれた瞬間です。

では、瓶の中では一体、何が起きているのでしょうか? 化学のバックグラウンドを持つあなたなら、きっと興味を持つでしょう。

瓶の中は、コルクによって酸素の供給がほとんど断たれた**「還元状態」**にあります。 この特殊な環境で、ワインに含まれる様々な成分が、長い時間をかけてゆっくりと化学反応を起こすのです。

  • タンニン:渋みの元であるタンニン分子同士が結合(重合)し、より大きな分子になることで、口当たりが滑らかになります。
  • :リンゴ酸などの鋭い酸が、アルコールと反応してエステルという華やかな香りの成分に変わります。
  • 色素:紫がかったアントシアニンが、タンニンと結合して、レンガ色のような落ち着いた色調に変化します。

これら無数の化学反応が、若いワインの荒々しい個性を、複雑で深遠なブーケ(熟成香)と、まろやかでエレガントな味わいへと変えていく。 これこそが、瓶内熟成の魔法なのです。

日本文化との比較 - ワインにとっての「塩」と「麹」

「その話、日本の食文化の進化と似ていますね」 京都の友人が、面白い比較をしてくれました。

例えば、生の魚。そのままではすぐに腐ってしまいますが、塩漬けにすることで保存性が高まり、「干物」という新しい味わいが生まれます。 蒸した米も、の力を借りて発酵させることで、「日本酒」という全く別の、そして長期保存が可能な液体に生まれ変わります。

そう、17世紀に生まれたガラス瓶とコルク栓は、ワインにとっての**「塩」であり「麹」**だったのです。 ワインを劣化から守り、時間をかけて全く新しい価値を生み出す、偉大な発明でした。

結論 - コルクを抜く、それは化学革命の扉を開けること

今、私たちが古いワインのコルクを抜くとき、それは単に瓶を開けているのではありません。

17世紀に始まった、ワインを「時間」という宿命から解放するための、静かなる化学革命の扉を開けているのです。 そしてグラスに注がれる一滴は、何十年という時を超えて、瓶の中でゆっくりと育まれた化学反応の美しい結晶です。

素晴らしいじゃないですか! 次にワインを飲むときは、ぜひそのガラス瓶とコルクにも、敬意を払ってみてください。

À votre santé! (あなたの健康に乾杯!)


Antoine Renaud(アントワーヌ・ルノー) フランス・リヨン出身のソムリエ 京都在住3年目、日本文化を学び中