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なぜ『教皇の新しい城』という名のワインがあるのか? - ローマ法王が愛した南仏の太陽

南フランスの偉大なワイン「シャトーヌフ・デュ・パプ」。その名に隠された、14世紀のローマ教皇庁の分裂という世界史的な事件と、ワイン産地の誕生の物語を紐解きます。

こんにちは、Antoineです。

南フランス、ローヌ地方に、偉大なワインを生む銘醸地があります。 その名は**「シャトーヌフ・デュ・パプ(Châteauneuf-du-Pape)」**。

フランス語を訳すと、「教皇の新しい城」。 ワインの名前にしては、少し不思議だと思いませんか?

なぜ、この地のワインに「教皇」の名が付けられているのでしょうか。 その答えは、14世紀ヨーロッパを揺るがした、宗教と政治の対立、そしてローマを追われた教皇たちの栄光と苦悩の歴史に隠されていました。

世界史の転換点 - 教皇がローマを去った日

物語は14世紀初頭のヨーロッパに遡ります。 当時、ヨーロッパの精神的支柱であったローマ教皇庁と、世俗の権力であるフランス国王は、激しく対立していました。

1309年、フランス国王フィリップ4世は、ついに自らの影響下にあるフランス人の教皇を擁立し、教皇庁そのものをローマから南フランスのアヴィニョンへと強制的に移してしまいます。

この、教皇庁がアヴィニョンに置かれた約70年間を、歴史上**「アヴィニョン捕囚」**(または「教皇のバビロン捕囚」)と呼びます。 カトリック教会にとっては屈辱的な時代でしたが、この歴史の大きなうねりが、一つの偉大なワイン産地を誕生させるきっかけとなったのです。

「教皇のワイン」の誕生

アヴィニョンに移った教皇たちは、夏の暑さを避けるための避暑地を必要としていました。 そこで、アヴィニョン近郊の丘の上に新しい城館(シャトーヌフ)を建設し、その周りの痩せた土地にブドウを植えさせました。

これが、「シャトーヌフ・デュ・パプ」の始まりです。

教皇ヨハネス22世をはじめ、アヴィニョンの教皇たちはブルゴーニュ出身者が多く、ワイン造りにも大変な情熱を注ぎました。 やがて、「教皇聖下が飲むワイン(Vin du Pape)」は、その権威とともにヨーロッパ中に知れ渡り、最高の品質と名声を得るに至ります。

多様性の遺産 - 13種類のブドウが織りなす複雑さ

シャトーヌフ・デュ・パプのユニークさは、その歴史だけではありません。 この産地のワインが、**13種類ものブドウ品種をブレンド(アッサンブラージュ)**することが許可されている点です。

グルナッシュ、シラー、ムールヴェードルといった主要品種だけでなく、白ブドウ品種さえもブレンドすることが認められています。

なぜこれほど多くの品種が使われるのでしょうか? それは、この地の複雑なテロワール(土壌)を表現するためです。畑には、ローヌ川が運んだ大きな丸い石(ガレ・ルーレ)が転がり、太陽の熱を蓄えてブドウを完熟させます。一方で、粘土質や砂質の土壌もあり、それぞれがワインに異なる個性をもたらします。

この多様性こそ、アヴィニョンに教皇庁が置かれたことで、ヨーロッパ中から様々な文化や技術が集積したことの遺産と言えるかもしれません。

日本文化との比較 - ワイン界の「京都」

「教皇がアヴィニョンに移ったことで、文化の中心も動いたのですね」 京都の友人が、この話を興味深そうに聞いていました。

彼が言うには、日本の歴史において都が置かれた場所には、最高の職人や文化人が集まり、そこで生まれた技術や文化が、今に至るブランドを築き上げてきた、と。 例えば、京都の西陣織や京料理がそうですね。

その話を聞いて、私は思いました。 14世紀のアヴィニョンは、まさにワイン界の**「京都」**だったのだ、と。 最高の権威(教皇)のもとに、最高のワイン文化が集積し、それが「シャトーヌフ・デュ・パプ」という不滅のブランドを創り上げたのです。

結論 - グラスの中に、教皇たちの夢を見る

「なぜ『教皇の新しい城』という名のワインがあるのか?」

その答えは、 「14世紀にローマを追われた教皇たちが、南仏アヴィニョンに築いた夏の城館の周りで造らせた、栄光のワインだったから」 でした。

ですから、私たちがシャトーヌフ・デュ・パプを飲むとき、それは単なるローヌワインを味わっているのではありません。 世界史を動かした宗教と政治のドラマ、ローマを離れた教皇たちが夢見た栄華、そして南フランスの太陽の恵みが一体となった、歴史そのものを味わっているのです。

À votre santé! (あなたの健康に乾杯!)


Antoine Renaud(アントワーヌ・ルノー) フランス・リヨン出身のソムリエ 京都在住3年目、日本文化を学び中